ジャポンスキー的インタビュー

vol.001:初代タイガーマスク/現代武士道「掣圏真陰流」総監 佐山聡 一世を風靡したプロレスラー「初代タイガーマスク」。そのきらびやかな名声に甘んじることなく、総合格闘技の礎「修斗」を創り上げ、現在も現代武士道「掣圏真陰流」を通じて”真の強さ”を追求し続ける佐山氏。
その根底に流れるのは、「日本人の精神基底を復活させたい」という強い想い。その真っ直ぐな想いを、Japonsukiスタッフがしかと受け止めて参りました。

2007年7月31日 更新

「武士道」と、日本の精神基底

佐山先生は、私の知る中で一番日本のことを愛していらっしゃる方だと思っているので、今回こうしてインタビューをお願いするに至りました。どうぞ宜しくお願いします!
さて、若かりし頃から格闘技をもって「強さ」を追求していた佐山先生が、何よりも「武士道」をやらなくては!と思われた一番最初のきっかけって、一体何だったんでしょうか?

ええと、人間には「精神基底」というものがあるのね。なんていうのかな。…
まず最初は「武道」というものは何か、というところから始まってね。
武道の前身は「武士道」なわけ。で、武士道と武道ってどう違うんだろなってことを思い始めて。
「武士道」っていう本があるじゃない?新渡戸稲造さんが書いたやつ。あれは、キリスト教徒に向けて武士道を説明した本なんだけども。
そういうのを見てみると、ああ、武士道っていうのは日本人にとっての「精神基底」なんだな、という風に思い始めて。
で、精神基底とは何か、なぜ精神基底が必要なのか、と考えるようになって。
それで心理学を勉強し始めたら、ユングにぶつかって。ユングは「普遍的無意識」という事を徹底的に言うのね。それはいわば「群れ意識」みたいなもので、宗教が持つ連帯感なんかも「群れ意識」にあたるわけだけども。

じゃあ日本(の精神基底)って何かなと思ったときに、それを鑑みると、日本にとってのそれ(普遍的無意識)は「武士道」だと思ったわけね。
日本人同士が「義を見てなさざるは勇なきなり」とか、正座をして礼をしあうとか、お辞儀をしあうとか。そういうような精神基底の根源というものが、全て武士道にあるんじゃないかな、と。

「礼儀」ですよね。

そう。そこから武士道に入っていくわけ。

要するに(格闘家も)ただ強いだけじゃなくて、「精神的な強さ」と「技術的な強さ」っていうのを両方とも兼ね備えていないと、ということですよね。

そう。
最初に俺がやりたかったことは、精神的なものなの。これは武道の観点から言ってるんだけどね。
今はもう技術面だけが進んじゃってるけども、俺は修斗を創る前からずっと、「技術面」と「精神面」が両方一体になったものを創りたかったわけ。
で、これはその当時からずっと言ってるんだけども、モデルは相撲みたいなやつですよ、と。

「国技」と言えるレベルのものですよね。

そう、そう。礼儀正しさとか、色んな作法とか。ああいう人たち、礼儀正しいよね。まあ、中にはヘンなのもいるけどさ(笑)。
俺はそういうものを創りたかったわけ。それでこそ「武道」でしょ。

で、武士道って何かなーってずっと研究してくと、「戦う」とか「剣術」とかが武士道というわけではないんだよね。
武士道の「道」というのは、「国」を守るためのものなんだよね。当時なら藩とか、お家とかだけれども。 で、そのための術として「柔術」とか「弓術」とか、礼儀作法とか、そういうのが色々分かれてるわけ。それは何のためにやるかって言うと、全部「国」を守るためにやってるわけね。
それで日本の場合は、全体の僅か5%しかいない侍達のそういった振る舞いが、一般の庶民達にもどんどん影響を与えていった。そういう規範を見本にして広まったのが「武士道」の姿なんだよね。

国に対する興味

今の日本には足りないものが沢山あると思うんですけれど、特に若者層というか、これから日本を担っていかなくてはいけない層に、どうしても足りないと感じるものってありますか?

やっぱり、こういうことを言い出すと、日本人ってね…。
例えば、俺には外国人の友達が結構いて、海外生活をしてた期間も長かったんだけども、外国人っていうのは(自分の国に関する話に)徹底的に乗り込んでくるわけ。興味があるわけ、すごく。国に対しての、こうでなくてはならないっていうことにね。
日本人ってのは、それが無いんだよね。そういう話すると、スッと引いてね、全然ワケわかんなくなっちゃうの。そんな話よりも遊びの話のほうがいいじゃん、みたいな。

確かにそうですね。何か、難しいことを避けるというか。

そうそうそうそう。外国人と話すと、徹底的になるよ。で、日本人なんかが遊びの話をしようとすると「お前達、そんな軽い話はいいんだ!」って、ほっぽらかしにされたりとかね。そのぐらい話し込むことがしょっちゅうあるんだよね。

それは「愛国心」みたいなものと関係あるんですかね?

「愛国心」っていう風に(大げさに)言ってるけど、そりゃ当たり前のことだね、愛国心なんて。

自分の生まれた国のことですからねえ(笑)。

そうそうそうそう(笑)。

それに興味が無くなっちゃってる、っていうのは…。

「無くされた」ってことでしょ。

ああ、なるほど。戦後の…。

うん。戦後の教育ね。全てそれ。
戦後、アメリカの色んな心理学者が日本にやってきて、日本の精神基底を無くすにはどうしたら良いか、ってことが研究されたのね。で、まずラジオ番組が始まったり、新聞の1面で10日間に渡って(情報操作を)やられたりとか。
で、一般庶民の心理を「あの戦争は日本が悪いんだ」「日本軍の悪行を、一般庶民は知らされてなかったんだ」と、そういう風にもっていったわけ、アメリカは。別に俺はアメリカが憎いわけじゃないけどね。
それで日本人が、そういう気持ちになっちゃったんだよね。

罪悪感を植えつけられた、みたいな。

そうそうそうそう。
ただ、精神基底は無くさなかったね、当時の人は。
マッカーサーは1千万冊のキリスト教のバイブルを持って日本にやってきたけども、日本人はキリスト教にさえならなかった。しかも、国家神道からもどんどん離れていった。だけど、天皇のことは凄く尊敬していた。天皇を尊敬していたからこそ、キリスト教を受け入れなかったわけだけども。
だけども今は、両方無くしていってるってことだね。

昭和天皇が、戦後に人間宣言をしたじゃないですか。天皇は神ではない、と。それって、その後(の日本人の精神)に影響してるんですかね。

その当時の一般の人には全然影響ないんだけども。
その文面を見て育ってきた人、それを言っちゃいけないんだよっていう法律で先生達が育てていって、それ以降の人。俺も含めてなんだけども。まあ間違いなく、天皇を神とは思ってないよね。
だけど、当時でいう「現人神」というのは、キリスト教のイエス様みたいなものだから、生きていようが生きていまいがそういう(神聖な)存在なんだけどね。たまたま生きていたのが当時の天皇ということで。
そういうものが無くなってしまったのもまあ仕方が無いんだけども、しかし精神基底というものも全て無くしていった、というのが今の状態。

精神復活まで、あと何年

私の世代(1981生まれ)あたりでも、教科書に書いてあることが凄く曖昧だな~って感じることがあったんです。子供ながらに。
戦後の高度経済成長で、日本はそこから目まぐるしく発展していきました、それで今に至ります、みたいな終わり方になっていたんですけどね。
戦争で一体何が変わってしまったのかとか、その後の教育で失われていったものは何なのかって、大人になってから興味を持って調べていけばこうやって沢山出てくるんですけども。これから先、こういう問題提起が徐々に消えて行ってしまうなと思うと…。

これから先は、またこういうのが増えていくだろうね。ひとつの国が戦争に負けて、精神復活するまでは100年掛かるっていうから。その前にボロボロにされちゃあ困るから、ある程度基準を守っておいて、そして復活していかなくちゃいけないわけだけれども。
(戦後の)先生達が教えていた事っていうのは、「もう子供達を戦場に送りたくない」という気持ちが基本になっていたんだと思う。まあそれはよく分かるよね。
だけども、それをやりすぎてしまうと、国自体が滅んでいってしまう。精神基底を無くしてしまう。「精神基底があるからこそそうなった(戦争になった)」と言っている人たちが居るとするならば、それは大間違いであって、精神基底が無ければ国の全てが緩んでしまうからね。

伊達政宗が良い言葉を言ってるんだけど、「義に過ぐれば固くなる」ってね。
そして「仁」、これは愛だね。「仁に過ぐれば弱くなる」とも言ってる。伊達政宗は、どちらも大切だと言っているんだよね。

何事もバランスですね。

そう、そう。そのバランスが欠けているんだね。あまりにも戦争へのトラウマが強すぎて。

語らないようにしてきたツケみたいなのが、きているんですかね。

語らないようにというか、子供達を戦場に送らないというような気持ちが、あまりにも強く働き過ぎたんだと思う。気持ちはとてもよく分かるんだけどね。
しかし国体論を考えてみると、この日本という国は地政学的にも、スイスみたいな中立国の立場にいられるようなのものでは無いから。それを鑑みると、(日本は)非常に危ないところにあって、非常に危ないことをやっているようなもので。…やっぱり精神論を早く復活させなければいけないね。
もちろん、戦争はやっちゃダメだよ。誰も戦争やりたいなんて思うやつはいないわけだけども、でも、いざという時はいつでも行けるようなつもりでいないと、国は滅んでしまうよね。

防衛力があって使わないのと、最初から何も無いのとでは、全然違いますよね。

まるで違うね。何の交渉にしても、そうだよね。

「武士道」と「騎士道」の違い

話は変わりますが、先生が日本の中で、外国に対してコレは誇れる!って思えるものって何ですか?

武士道だね。侍ってのは、誇れるよね。

西洋にも昔、「騎士」が居ましたよね。西洋の騎士道と日本の武士道とって、やっぱり違いますよね?

うん、全然違うよ。
戦の時、日本の(武士の)場合は、助からないわけ。首を刎ねられたりとかね。
だけど騎士の場合は、貴族だから助かるわけ。もう、お互いに決め事だから。一般の兵隊達は殺されるけど、騎士同士ってのは、一応こ~んな重たいもの持って、こうやってバンバン殴りあうわけだけど、刺したり殺したりってのはしない。まあ、ヒゲぐらいは引っ張ったりして取ったりとかしてたみたいだけど。
そして捕虜で捕まえたら、捕虜としてお金を取れるわけ。暗黙の了承があるわけだね、お互いに。で、殺さない。特権階級なわけだ、騎士というのは。
侍も特権階級だけども、命を懸けているという点で全く違うよね。

なるほど!それは全然違いますね。

キリスト教と騎士道ってまた違うかもしれないけど、騎士道は(最終的に)キリスト教に呑まれていった。
しかし武士道は、宗教に呑まれなかった。そこも違うわけね。

それだけで1つの、確立した規範として残ったわけですね。

そうそうそう。
規範の点からいくと、キリスト教は「愛」で構成された規範だけど、武士道というのは「死」で構成された規範なんだよね。こんなことは実際そうそう無いけれども、極端に言えば、礼儀をわきまえなかったら死ぬ(切腹する)、ということ。「死」なんだよね、全ての背面が。で、それは規範(の位置付け)というところで、キリスト教の「愛」と一致するわけ。実際に死ぬ死なないは別にしてもね。
そういうところが、(日本人の)人格に現れるわけね。愛の人格か、死の人格か。お互いに、規範という点では一緒だけども。

いっつもそうなんですよね。騎士道と武士道っていうのの違いを、うまく言えなかったんです。

いや~もう、まるで違うよ、武士道とは(笑)。

真の「強さ」「弱さ」の追求

先生が今、掣圏真陰流を通じて表に出していきたいことって、まだまだありますよね?

もちろん、もちろん。
(日本人の精神は)今これだけ弱くなってしまったけれど、真の「強さ」「弱さ」とは何かということを考えていけば、規範が大切だとか、社会的な免疫が大切だってことが分かってくるわけね。社会的な免疫が無いと、(精神は)滅んでしまう。それが滅ばないように、じゃあ神経学的・生理学的にはどうなってるんだ?って事を理論付けて説明すれば、世の中の人が分かってくれるかな、と。掣圏真陰流は(ただの格闘技ではなくて)科学である、ということなんだよね。

戦争ってさ、科学じゃない。その時代の一番最先端のものが出てくるわけだけだから。
当時の武士道ってのは、精神論なんかも全部最先端だったわけね。で、俺が今の世の中に武士道を復活させるとしたら、今の精神科学の全てを駆使しなければ最先端にはならないわけだから、学者ぐらいにならなければ武士道を語れなくなるじゃない。今俺はそれをやってるわけ。

例えば、(脳には)情動回路というのがあって。「情動」というのは凄く大切なものだよね。感情があって、情動がある。情動が「響く(=揺れ動く)」かどうかによって、精神的な強さ・弱さが決まってくるわけね。
響かないようになるか、それとも響くか。あるいは、正義によって響かなくなるか。それは、皆さんの心のつくり方次第。
例えばコンビニエンスストアの前で、お爺さんが倒れた。それに対して、俺の友達のキリスト教のヤツは、情動が「響く」わけだね。「うわーこれはイカン!」と思って、飛んで行くわけ。正義(の方向)に響くんだね。で、何もしない人たちは、何も心に響いていないわけ。

だから見てるだけ、と。

そう、見てるだけなわけ。で、そいつが車から降りてって、「何なんだお前達は!日本人は!」って言って、そのお爺さんを助けたんだよね。それが、そいつの情動の響き。
それから、例えば人が襲われているのを見て「怖いな」って思うのは、弱さ(の方向)に響くからだね。強いヤツの場合は、逆に正義のほうに響いちゃう。中間点にしておくこともできない。とにかく何かがあったら情動が響いて、(感情が)こう、ひっくり返るような方向に持っていかれちゃうわけ。

(精神の)軸がしっかりしてない、って事なんですね。

そうそうそう。
今、そういうのを図をもって作ってるから。(※現在、掣圏真陰流のホームページをリニューアル中)

期待してます!アップが楽しみです。

あはははは(笑)。うんうん。

佐山聡からのメッセージ

では、同じく日本を愛していて、でも何をしていいか分からないという若者に対して、何かメッセージがあれば。

本当の歴史を知りなさい、と。
ひとつ言えることは、(戦争で)勝った国が歴史を創る、ということ。これは万国共通、歴史上でも全部共通なこと。戦勝国が全て、歴史を創っていく。

そうされてきた経緯というのを、私達は知っておかなきゃいけないわけですね。

そうそう。そこから、全ての事は始まるよね。

分かりました。ありがとうございました!

はい!ありがとうございます。宜しくお願いします。

プロフィール
佐山聡(さやま さとる)
1957年11月27日山口県生まれ。1974年新日本プロレスに入門、海外修行を経て1981年4月「タイガーマスク」で日本デビュー。人気絶頂の1983年8月、理想の格闘技を目指して新日本プロレスを退社。1984年には「ザ・タイガー」「スーパータイガー」としても活躍。1985年「打・投・極」を提唱した新格闘技「シューティング(後の修斗)」を創始。軌道に乗るも、後に離脱。1999年5月複数相手との戦いを想定したボディガードコンセプト「市街地型実戦武道・掣圏道」を創始。2003年9月「掣圏トーナメント」を初開催、同時にプロレス完全復活を果たす。2004年12月に掣圏道を「掣圏真陰流」と改名、2005年3月「リアルジャパンプロレス」を設立。2006年8月25日、かねてより念願であった「義」を興すための道場「興義館」を東京・文京区本郷の地に開設。